「人間には必ず、宗教が必要なんだよ」
2年近く会っていなかった先輩との久しぶりの飲み会は、そんなテーマから始まった。大人な彼は、理屈っぽくて議論好きな僕に合わせてくれたのだろう。
彼は冒頭の一言を言い放った後、一呼吸おいて、こう続けた。
「日本人は無宗教だけど、それゆえに”会社”を宗教にしてしまう」
説得力のある言葉だ。彼は新卒で入った某大手メーカーを昨年退職し、外資系企業に移った。外資に移って一年ほどが経ち、彼なりに見えてきたことがたくさんあるのだろう。
彼の主張に対して僕はどう答えたか。概ね同意した。
”概ね同意です。人間には多分、依って立つものが必要なのでしょう。付け加えるとするなら、人間にはそれぞれの【強さ】があるということです。強ければ強いほど、依って立つものは少なくて小さくていい。弱い人は、大きいものやたくさんのものに依って立つしかない”
大体、そんなことを答えたと思う。この議論はしばらく続いたが、僕は議論の間、忌野清志郎の「ROCK ME BABY」の歌詞を思い出していた。
”宗教も思想もいらない 俺は何も持たない
ロックンロールの神様 俺にはついてる”
この後も、ロックンロールさえあればそれで構わない、という趣旨の歌詞が続く。
忌野清志郎は、強い。
キヨシローのカッコよさ、キヨシローのカリスマ性、キヨシローの魅力は、この強さにあるのだと思う。
忌野清志郎は強いから、宗教に依って立つ必要がなかった。思想に依って立つ必要もなかった。所持品や金、人間関係にすら依って立つ必要がなかった。
ただ、ロックンロールに依って立てればそれだけでよかった。
なんて強く、なんて純粋なんだろう。
「忌野清志郎」という名前を初めて聞いたのは、彼の訃報のニュースだった。僕が高校2年生の時だと思う。
当時17歳、ロックバンドといえばRADWIMPS、そんな世代だ。忌野清志郎も知らなければ、彼のやっていたバンドも知らなかった。
「なんか昔すごかったミュージシャンが死んだらしい」
そのくらいに思っていた。その少し後にはマイケル・ジャクソンの訃報が流れ、世間も、そして僕もあっという間に忌野清志郎の訃報を忘れた。
キヨシローの魅力に気づいたのは、大学2年生の頃だ。20歳の僕は、カート・コバーンの遺書にハマり、それをきっかけに、ロックンローラー達の遺書や死に関する文書を収集するのにハマった。
そんな中で僕の心を打ったのは、元ブルーハーツ・現クロマニヨンズのボーカル、甲本ヒロトが忌野清志郎に対して読んだ弔辞だ。
今でもこちらの動画で全文聞くことができる。全人類が聞いて欲しいと思う。忌野清志郎と甲本ヒロトという、二人の素晴らしいロックンローラーの人生と魂の交流が、たった5分半に収まっている。
この弔辞の中で、印象的なフレーズがある。
「ステージの上の人だったんだな」というフレーズだ。キヨシローは、ステージの上の人だった。
キヨシローは、ロックンロールに依って立っていた。ステージの上でロックンロールの神様と交流することで、生きることができていた。
キヨシローは、強い人間だった。強かったから、ただ自分の信じるロックンロールに依って立てればそれでよかった。
僕たちは、弱い。もっとたくさんの、それでいて安定した何かに依って立たなければいけない。
それは、宗教であり、思想であり、会社であり、家族であり、持ち物であり、社会常識であり、歴史である。
あなたは何に依って立っているだろうか。
「宗教も思想もいらない。俺は何も持たない」といえるだろうか。僕は胸をはっていい切れる自信はない。あなたにもないだろう。
しかし、弱いことは悪いことではない。
あなたなりの良い宗教を見つけて、人生に安息が訪れるならそれは素晴らしいことだ。
ただ、僕はどうも、世間でよく使われる宗教のどれにも適合しないらしい。会社も、家族も、持ち物も、社会常識も、歴史も、どれも僕の依り代にはなってくれなかった。
だから、僕は強くなろうと思っている。キヨシローの強さが欲しい。僕はキヨシローの強さに憧れ、キヨシローに心を掴まれ離れないファンである。強くなろうと思っている。自分の作り出すものの面白さだけに、依って立って生きていこうと思っている。
”宗教も思想もいらない。俺は何も持たない”
そう断言できるようになった時、僕の人生は始まるのかもしれない。
清志郎さんカッコいいですよね。
強さが故に、
”宗教も思想もいらない。俺は何も持たない”そう言っていても
ある種の神になってしまった気がしますw
キヨシロー自身が、ファンにとっての宗教だったのは間違いないですね。笑
宗教を持たなくていい強さを持つ人は、最終的に自ら宗教になってしまうのかもしれない。