こんにちは。
先日投稿した、「風の谷のナウシカから考える、新型コロナウィルスについて」が予想以上に反響がありました。
そこで、第2弾ということで「ジョジョから学ぶ、新型コロナウイルスについて」と題した、考察記事を書いていきます。
今回、新型コロナウイルスを考察するにあたり、注目すべきページがありました。
画像引用元:原作コミック・59巻・159ページ
第5部の終盤にて、ジョルノに対して、ポルナレフが物語のキーアイテムである「矢」について説明した場面です。
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「殺人ウィルス」というものは、生命を淘汰するッ!
これは「ウィルス進化」という学説なのだが、
ほとんどの者は、そのウィルスに感染すると死に至るが……
偶然に生き残る素質を持つ者もいる…
そしてウィルスは、生き残った者に、
ご褒美のように「新しい生命能力」を与えるというのだ。
それはスデに証明されているね?君たち自身の体で…
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そもそも、ジョジョにおける矢とは、どういったものなのでしょうか?
一言で言うと「スタンド能力を発現させるための道具」といったところです。
もともと、宇宙から飛来した隕石からもたらされたウイルスに染まった岩石から作られたもの。
矢に刺されると、素養のある者はスタンドが発現し、スタンド使いになれるというものです。
しかし、運が悪ければ、その場で死んでしまったり、発現したスタンドを制御しきれずに死んでしまうこともありました。
第4部で初登場しエンヤ婆が所持して、とくに第5部のストーリーにおいて重要な役割を担っていました。
矢は最初エジプトの遺跡にありましたが、若かりし時のディアボロによって発見されます。
ディアボロは発見した6本のうち1本を自分の手元に置き、残りの5本をエンヤ婆に渡して、それが様々な人物の手に渡っていきました。
前回のナウシカの時には「腐海=新型コロナウイルス」と考えました。
そして、今回の場合だと「矢=新型コロナウイルス」という仮説を立ててみました。
なぜ、そのような仮説を立てたのでしょうか?
この仮説のポイントになるのは「淘汰」と「ウイルス進化」にあると考えます。
まず淘汰とは、
ダーウィンによる生物の進化論で、生物が環境に適用するように競争が生じることで淘汰という名の選択が起こり、適者が生存することを言います。
進化論では、「進化には、遺伝子の突然変異が必要である」とされています。
例えば、サルから人間に進化するには、サルの遺伝子が突然変異によって変化していき、結果として個体レベルで変わっていくということです。
つまり、サルの中に存在する遺伝子が、内的要因で変わるということです。
その一方で、外的要因で遺伝子が変わっていくのではないかという説もあります。
それが「ウイルス進化」です。
先ほどのサルの進化の例でいうと、「ウイルスが、人間への進化に貢献した」という話です。
ウイルス進化説には大事なポイントが3つあります。
✅ウイルスによる個体から個体への遺伝子の水平移動が起きること
✅ウイルスによる遺伝子の水平移動は種の壁を越えて起きること
✅ウイルスは遺伝子を運ぶための細胞内の小さな器官ということ
つまり、ウイルスは生物が進化するのに必要な遺伝子を運ぶ道具。
言い換えると、「遺伝子の運び屋」ということです。
ここからは独自見解になりますが、進化には、上記の突然変異とウイルス変異の両方が関わっているのではないかと考えました。
つまり、突然変異は「縦方向の遺伝子の変化」。
ウイルス変異は「横方向の遺伝子の変化」。
自分は、このようなイメージを描きました。
前回の記事内で、新型コロナウィルスの役割は「自浄作用」や「新しい平衡状態を作ること」ではないかと言及しました。
今回の場合だと、それらは「淘汰」に当てはまるのかなと思いました。
とくに、現在の産業方面を見わたすと、「テレワークの推進」や「デリバリー構造の変化」など、環境が否応なしに変化しています。
新型コロナウイルスが、ひとつのきっかけとなって、環境が変化していき、ニューテクノロジーが誕生したと言えるのではないでしょうか?
「新型コロナウイルス=矢」、「ニューテクノロジー=スタンド」と当てはめると、しっくり来るものがあるのは、私だけではないと思います。
今回はここまでにしますが、例によって、@fusanの名言で締めたいと思います。
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僕の中では直感的に「コロナウイルスは黒船来航」とゆうイメージが浮かびました(この時期に不謹慎かも知れませんが)。
実は易経は暦などにも使われていて、立春などは冬の時期に春の空気が芽生える現象を表しています。
実は冬至が陰の極みなので既にその時から春は始まっている様です。
二十四節気も根本には陰陽思想からきています。
社会も季節の様に流転しているゆうことですね。