今日は広告医学の勉強会に参加してきたよ。
っておそらく「広告医学???」って感じだと思うから簡単に一言で説明すると…
広告医学とは、"広告的手法を用いて健康行動を誘導する新しい試み"である。
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ここ数十年で医療の現場は様変わりしてきた。
一昔前は結核や肺炎などの感染症が死亡の主因であったけれど、今は悪性新生物や心疾患や脳血管疾患が上位を占めている。
心疾患でも脳血管疾患でも問題になるのは動脈硬化だ。
そして、動脈硬化は糖尿病や高血圧、喫煙、加齢などが直接的な原因であり、同時に生活習慣との関連が強い。
生活習慣の改善は、さまざまな疾患の予防に寄与することは広く言われているが、これがなかなか手強い。
立ちはだかるのが、健康意識のハードルだ。
健康意識が高い人は、自分でインターネットなり、本なりで自主的に研究し、健康的な行動を実践しようとする。毎朝走るかもしれないし、毎日歯を磨くかもしれない。偏食を避けるだろうし、薬もちゃんと飲むだろう。
でも、世の中そんな人たちばかりじゃない。
健康意識が低い人たちは、健康的な行動を実践しない。
彼ら彼女らも知識がないというわけではない。
テレビやインターネットから、ある程度情報を仕入れている。しかし、実践しない。
なんでって。
彼ら彼女らの意志が弱いから?
そう考えるのは簡単だけれど、自己責任論に帰結してしまって何も生まれない。
日々の生活を送ることで精一杯な人たちが、毎日朝ランニングできるだろうか。
味の濃いご飯を30年食べてきた人が、今さら医師に指摘されただけで減塩できるだろうか。
仕事に疲れて帰る途中、階段とエスカレーターを前にして、階段をどれだけの人が選べるだろうか。
人間っていつでも理性的に判断ができるわけじゃない。
むしろまず第一印象として感情的に判断するものだし、考えなくて済むのなら疲れるから考えたくない。
人から命令されたことは、心の中で妥当だなって思っていても、どうしても反発したくなる。
健康的な行動を取れるのは、健康意識が高い一部の人だけに過ぎない。
多くの人は、たとえ健康的な選択肢が見えていても、ちょっとぐらいと不摂生をしてしまうもの。
広告医学がアプローチをするのはそこになる。
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今、医療の形は大きく転換期にあるという。
今までは治す医療だった。
しかし、現代で問題になっている生活習慣病に対して必要とされているのは寄り添う医療だ。
ちょろっと病院に駆け込んで、薬一つで治るような問題じゃない。
長い長い経過を辿ることもある。日常生活抜きには語れない。
忙しく乱雑な日常の中で、常に理性的に健康行動を判断するなんて土台無理な話だ。
理性的に健康行動を選ぼうとしなくても、自然と健康へと導けるようなそんな新しい医療のあり方が模索され始めている。
広告医学は名前が少々紛らわしい。
"広告"というと、CMや野外広告やポスターを出すといったThe 広告を思い浮かべがちだけれど、そんなことはない。
広告医学の提唱者である横浜市立大学の武部先生は、"もっと生活に根ざしたもの"だという。
彼は、電通や横浜市と協力して、
ついつい登りたくなるような階段を設計したり、
メタボになると警告として色が変わるようなパンツを開発したり、
待合時間の不安やストレスを解消するような癒される待合室を作ったり、
次々と医学界に衝撃を与え続けている。
広告医学研究会AD-MEDウェブサイトより引用
これらの具体例が示しているように、
あくまでデザインやコピーライティングなど、広告業界でずっと育まれてきた、感情や無意識へと訴えかけ行動変容を起こす技術=広告的手法を医療へ応用したものが、広告医学なんだ。
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概念はとても面白く、分野としても大きなポテンシャルを感じる。
ただ、ビジネスとしては非常に難易度が高い。
1つには効果検証が難しいこと。
2つにはマネタイズが難しいこと。
これらを乗り越えるのは、一筋縄ではいかない。
横浜市立大の武部先生はいくつものアイデアを提唱しているが、正直言って名人芸だ。
きっと彼が広告医学という研究分野を提唱したのは、彼の発想が名人芸に終始してしまわないようにするためだろう。
医療に広告的手法を応用する、その考え方が人知れず埋れてしまわないように、体系的にノウハウを蓄積することができるように、彼は新しい分野を提唱したんだと思う。
そういう意味で、彼は学問の基礎づけという歴史的にも偉大なことに挑戦している。
また、広告医学のテーマはある程度限られてしまうように感じる。
どうしても運動不足、食生活とか王道なテーマで戦うことになるだろう。
なぜなら、問題と改善策がある程度はっきりしていないと、改善策としての設計の土台が崩れてしまうからだ。
運動不足という問題には、運動をするという改善策、
高血圧という問題には、減塩をするという改善策、
メタボという問題には、節食をするという改善策、
これらはわかりやすくて良い。
一方で、例えば癌はどうだろうか。
癌は原因もさまざまで、治療法も高度に専門的にならざるを得ない。そんな領域を前に広告医学はちょっと力不足だ。
しかしそれでも、
広告医学という分野にはとても価値があると思う。
理性的に健康行動を起こせない人たちをターゲットに、新しい医療を作っていくという考え方は、ある意味で今まで医療から締め出されてきた人たちを救う手立てになるはずだ。
医療は今まで、医療を信じ・実践する人にだけ手を差し伸べてきた。
これからは、もっと非排他的になってもいいのではないか。
医療の方から、人間らしさへ歩み寄っていくべきではないのか。
広告医学は、医療から締め出されてきた人たちを相手に医療を行う方法として広告的手法を選んだ。
この考え方は、建築にだって活かせるだろう。広く見れば街づくりや国の政策にだって通じる。
これらはソーシャルデザインとも言えるかもしれない。
これからの新しい医療を切り開くのは、医者とは限らないはずだ。
両方の垣根を飛び越える人たち、そんなパイオニアたちの活躍の時代がすぐそこにきている。