​​ [韓国大学生クラブ] 14. ホームスクーリングvs 学校, あなたの選択は? ​​

in #japanese7 years ago

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[韓国大学生クラブ]

Question

ホームスクーリングvs 学校, あなたの選択は?


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@katechoi

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私はホームスクーリングの方をもっと好みます。 もちろん学校のように多くの人たちと過ごしながら社会性を育むのが難しくなるけど、子供が学校生活に適応できなかったり、いじめに遭ったら、むしろ学校にいる時間が浪費だと思います。

まだ自我がまともに形成されていない時期に、そんなことをされたら、子供は無限な罪責感に悩まされることになります。 その場合、学生時代は大きな傷あとを残すことになるだろうと壮語します。 また、教育方式は、個人の特性に合わせてくれなければならないと思います。 ホームスクーリングは子供の適性と興味によって多様な進路啓発をできるようにする基盤を立つと思います。

学校の先生は多くの子供たちを世話をしなければならないために各児童については正確に把握するのが、ある意味では不可能に近いと思います。 その場合、子供の隠れた潜在力がつけることができると思います。

@septemberbre2ze

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自分はホームスクーリングを受けたことがなくて、この問題について確実な答えを出すことができないかもしらないけど、子供の頃に感じた、いじめの問題を考慮して見たら悪いた方式ではないと思う。 しかし、現実的にすべての両親が教育を受けたのか、適切な水準で教育をするだけの資質があるかを考えてみると、すべての子供に理想的であることは難しい。

また、最近のような共働き夫婦も増えてる状況だが、ここにホームスクーリングをするというのはほぼ不可能に近いとみている。 しかし、少なくとも感情的な面ではいじめという危険性がなく、親の立場では、子供にとって最良の教育をしようとすると、子供の特技を最大限に生かしてすれば、最高の教育になると思う。 自分がホームスクーリングを受けるなら、四方に自然があり、携帯電話や電子機器からは離れて、本がいっぱい詰まった所から受け取ったら良いそうだ。ホームスクーリングがすべての人に有利という保障はないと思う。 ただ、いつも成功的な事例だけ見るようになってホームスクーリングを肯定的に見てしまうらしい。 慎重な熟慮を通じてホームスクーリングを考えてみなければならない。

すべての人たちが、ホームスクーリングをすることとしようという案件には反対だが、選択的にホームスクーリングの機会を与えようという案件なら、結果がどうであれ、それなりの長所と短所があるので賛成だ。

@highyoonzi

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悩みになる問題なんだけど、私はそれでも学校の方をいいです! 本人が学びたいことにより多くの時間を割くことができるという点でホームスクーリングが本当にひかれたが、私の中学校、高等学校時代を振り返ってみると、何より一番大きく残ったものは思い出と友達です。

学校に行けば私は関心のない活動をしなければならないこともあるけど、友達が残るんですよ。 高等学校の時友達と一緒に勉強もして、体育大会の練習もして、合唱大会にも出て、こんなことが本当に思い出で心深く残っています。 今もその友達は一生を共にする'私の人'になってます。

ホームスクーリングをすればこんなに良い記憶を積む機会、そしていい人に会う機会が少なくなるようで残念です。 学校はただ'勉強'、'学業'だけを学ぶところではなく、生き方を学ぶところだからです。 私が習ってみたいし、関心を持っている部分は他の方法を動員して補完すればいいと思います。

もちろん、学校に通うことになると学校の勉強だけでも忙しくなるけど、ホームスクーリングをするため、既存の慣習から自由な人なら、他人のする勉強の代わりに放課後には他のものを十分に学ぶことができだろうと思います。 私がもし後に子どもを持つならば、ホームスクーリングというよりは学校を好むようです:)

@devi1714

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二人とも長所があって、どのようなものを好むかによって、付いているようだ。 正常な教育はより正規教育を受けることはできるが、選択の余地が少ない。 ホームスクーリングの場合には自由を得ることができるし、自分が興味を持ってることを勉強することができる。

興味なしには勉強する動機もなくなるために重要な部分と思っている。 最も基本的な数学、科学、歴史と言語を学ぶことができるなら、自分が学びたいことを学ばなければならないと思う。 それでも学校に行くのはいい友達を付き合えるのでいい経験だと思う。

@zoethehedgehog

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以前に小説ウィキドゥを読んで印象深かった部分があった。 緑色の皮膚の主人公エルパパが生まれ、両親のうち1人は'この子を家で育てよう'としたが、もう一人は'世の中の残忍さを早く教えてくれて適応させなければならない'としていた。

親が学校暴力のために、また劣等感を感じるのかみて学校に送らないようにするなら、世の中はそんなにきれいではないということを知らせてあげる必要がある。 しかし、もし将来希望を探すのに役立つためにホームスクーリングを考慮したらそれでいいと思う。 社会化は他の集団を通じても可能だ。 ちょっと違うケースだが、私は大学に通うことより公募展準備をしたことが私の人生に役立つたと思う。

どうすれば他のチーム員に認められるかなどを学べる機会もなって、行動力も学ぶことができたためだ。 結論的に親が学校が子供み害するかと思ってホームスクーリングをするとすれば、それは否定的と思うけど、本当に子供の将来を考えてホームスクーリングをするなら肯定的に考える。

@winnie98

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私は学校の方がいい。 学校では知識だけではなく、社会性を教えると思う。 同じ年頃の友達との相互作用で私たちは他人との関係に対する理解を拡張する。 ホームスクーリングからも社会化について学ぶことができるが、間接経験と直接経験は歴然とした差を示しかねないと思う。

@williampark

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自分はホームスクーリングを導入するにはまだ早いと思います。 いつも急速に行われた変化は危険な結果を生むものです。 学校では、単に学業に対する教育だけでなく、共同体社会に適応する方法と現実を克服していく方法を実際に体得する勉強までしているので、ホームスクーリングではできないそれ以上のものを得られると思います。 したがって、ホームスクーリングを導入することは時期尚早と判断されます。

@iamtennis

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私はホームスクーリングに賛成します。
よくホームスクーリングに反対する立場では、ホームスクーリングを受けた子供たちが学校に通う子供たちに比べて社会化が遅れると憂慮します。 しかし、私の考えにこれは杞憂です。 学校に通えば様々なタイプの人たちと疎通するようになって、社会化に役を与えるということは認めるが、様々な人が集まるだけに、副作用があり得るからです。 学校内のいじめが発生するということです。 私の経験を借りて言えば、十代は人生の中で最も感性的に鋭く、自らを探す時期だと言います。

しかし、最も傷つきやすい時期である中学校は私に一番忘れたかった瞬間でもあります。 いわゆる学校内のいじめメンバーが学業の雰囲気を台無しにして、ほかの生徒たちにとって学校が行くこと嫌いになりせるほどの恐怖な雰囲気を造成しました。 社会化は学校がなくても、クラブ活動をしたり、塾のような他の場所でもイルウォジルができます。 他の人を会える場所は学校だけいるのではないです。 私がホームスクーリングを賛成する最も大きな理由がまさにこれです。 また、学生が自ら意味することがなければ、、学校で過ごす時間は所得なしに通り過ぎてしまいます。

このような縁故に私は学校を通っていることが大きく価値があるとは思いません。 学校を通ってこそ、経験できる思い出があったら、ホームスクーリングをしてこそ、経験できる思い出もあります。 あえてお金を払って行って気合を受ける修練会が我々に必要な思い出なんでしょうか。 私が過去に戻って選択できる機会が与えられたら、私はホームスクーリングを選択する。